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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(オ)199号 判決 1968年11月28日

上告人

柴山悦次郎

代理人

下山四郎

林徹

被上告人

森下清人

主文

本件上告を葉却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人下山四郎、同林徹の上告理由第一点について。

原判決が、昭和三一年七月分の賃料のみならずその後の賃料についても、被上告人においてその受領を拒絶した事実を認めることができない旨を判示していることは明らかであつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、右判示を正解せず、加うるに原審の認定しなかつた事実を前提として、これを非難するものであつて、採用することができない。

同第二点について。

本件不動産の賃貸借契約に賃借権の設定登記をする旨の特約が存したことは所論のとおりであるが、原審の確定したところによれば、被上告人の右登記義務と上告人の賃料支払義務とを同時履行の関係に立たしめる旨の特約の存在は認められないのみならず、賃借人たる上告人はすでに賃借物の引渡を受けて現にこれを使用収益しており、賃借権の登記がないために上告人が契約の目的を達しえないという特段の事情も認められないというである。このような事実関係に照らせば、被上告人の賃借権の登記義務と上告人の賃料支払義務とが同時履行の関係に立つものとは認めがたいとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第三点について。

原判決は、本件賃貸借契約解除の意思表示の撤回に関する上告人主張の事実はすべて認められない旨を判示しているものと解されないわけではない。そして、被上告人が契約解除後の期間に対する賃料の弁済として供託された金員の還付を受けたからといつて、当然に右解除の意思表示を撤回したものと認めなければならないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第四点について。

原審の認定した事実関係のもとでは、被上告人の契約解除を有効と認めて本訴請求を認容した原審の判断は正当である。論旨は、原審で主張または認定されなかつた事実に立脚して、原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官松田二郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官松田二郎の反対意見は次のとおりである。

原審の認定したところによれば、被上告人は上告人に対し本件土地及び建物を賃貸し、その賃借権設定登記をなすことを約したにかかわらず、被上告人がその登記義務を行わないから、上告人はその賃料の支払いを拒むというのである。しかるに、この点について、多数意見によれば、被上告人の右登記義務と上告人の賃料支払義務とを同時履行の関係に立たしめる旨の特約の存在は認められないのみならず、賃借人たる上告人はすでに賃借物の引渡を受けて現にこれを使用収益しており、賃借権の登記がないために上告人が契約の目的を達し得ないという特段の事情も認められない以上、右登記義務と賃料支払義務とに同時履行の関係に立つものではないというのである。

思うに、不動産の賃貸借については、これを登記する旨の特約がない以上、賃借人には登記を請求する権利はなく、従つて賃貸人が登記手続を行わないことを理由として、賃借人が賃料の支払を拒み得ないことはいうまでもないところである。そして、不動産の賃貸借に当つては―抵当権者が抵当権設定後に第三者が取得する賃借権、殊に民法三九五条の賃借権を封ずる目的を以て、抵当権設定登記と同時に自己のためにする賃借権登記の場合を除き―かくの如き登記の特約のないことを通例とする。しかしながら、賃貸人が一旦賃借権の登記をなすべきことを特約した場合においては、これと全く趣を異にするに至るのである。けだし、土地の賃貸借の場合、その登記があれば、賃借人が該地上に建物を所有してこれを登記することがない場合であつても、その賃借権は爾後土地につき物権を取得した者に対しても効力が生じ、また、建物賃貸借の場合、賃借権の登記があれば、賃借人が建物の引渡を受けない場合であつても、その賃借権は爾後建物につき物権を取得した者に対しても効力を生じるからであり(民法六〇五条)、当裁判所の近時の判例のうちには登記された賃借権―それは債権であるのに―に対し殆んど物権に等しき効力を認め、その保護を与えたものすら見るからである(昭和四〇年(オ)第二八号同四三年一〇月三一日言渡第一小法廷判決参照)。このような関係の下においては、不動産賃借権の登記は、債権たる賃借権をば殆んど物権化するに至らしめるものであるから、その特約をするに当つて、賃貸人が賃借権設定につき相当多額の対価を要求するのはむしろ当然であり、賃借人においてもその支払を約することとなる。このような事例は当裁判所に顕著なところである。かくて、賃借権登記の特約がある場合においては、特別の事情の認められない限り、賃貸人の賃借権登記義務は賃貸借契約の主要部分を構成するものと認むべきものとなり、それは決して単なる附随的なものとはいい得ないと解すべきであると考える。従つて、このような特約のある場合、賃借人が賃借権取得の対価を支払つた以上、たとえ賃貸人がその不動産を賃借人に引渡し、これを使用収益せしめたとしても、賃借権の登記義務を果さない限り、未だ賃貸借契約の主要部分の履行をなさないものというべく、賃貸人の登記義務不履行を理由として、賃借人は賃料支払を拒み得るものと解するのを相当とする。

しからば、原審はすべからく叙上の点に思を致すべきであつたのにかかわらず、本件において、賃借権の登記をなすべき特約があつたことを認定しながら、当事者間に同時履行の特約がないことを理由として、漫然上告人の抗弁を排斥し、被上告人の請求を認容したのは、審理不尽という外はなく、この点について上告は理由がある。よつて、原判決を破棄し、更に審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すべきである。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎)

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